兄に持って行った京城市の地図
亡母の50年供養の為
実家の神戸に着きました
弟夫婦と弟の長男一家が
神戸空港に迎えに来てくれていました
おばちゃんが着いたら
お好み焼きを食べに行こうと
計画してくれていた通り
お好み焼きを食べに行きました
弟の長男一家には小学4年生の男の子と
小学2年生の女の子がいます
お好み焼きだけでなく
焼肉もおいしいおいしいと
いっぱい注文してガツガツ食べています
めっちゃかわいい♡
翌日私の兄が私たちが待つ弟のうちに
着きました
20余年振りです
兄も77歳になりますが現役の教授と
弟から聞いていましたので
しっかりしておられるのだな。。とだけ
思っていました
が
もちろん白髪そして
杖をついて歩きながら
うちに入って来られました
『あのヒトはどなた?』
甥や姪に
私のことを尋ねておられるのが
聞こえました
♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥
私自身も風貌はすっかり変わっているのだから
仕方がないな・・とは思いながらも
アリトルビットショックではありました
テーブルに着くとすぐに
👇お兄さまが生まれた京城市の地図ですよ
夫が手に入れてくれたので持ってきました
もしお入り用でしたら差し上げますよ
兄はこの地図をちょっと見て
どこが生家なの?と聞きました
が特に興味は無いようで
というか
字も薄いし小さいし見にくかったせいでも
あると思いますので
地図から目を離し
〇〇さん(私の夫の名前)は亡くなって
何年になるの?
って聞いてくれました
9月で10年目を迎えますなどといったことを
話した後
お兄さん
この地図お持ちになりますか?
よかったら差し上げますよ
いや
いい
でした
僕は
心筋梗塞をやってしまい
そして
鬱にも
かかっていたんだ
私は驚きを押さえて
でも○○の教授としてお仕事をされて
すごいですね
ロシアにはどのくらいおられたのですか
5年はいたよ
でも今回強制出国させられた・・と
笑いあいました
若い頃は
兄弟げんかをしていて
疎遠になっていた兄ですが
あっという間に
20余年が過ぎて
そのけんかの原因を忘れさせてくれ
年老いてもなお立派な生活をされている兄に
こうして逢わせてくれたのは
母の50年忌法要のお陰だと
母というものの偉大な愛を感じました
そして次男という立場でありながら
両親の仏壇お墓親戚付き合いを続けてくれた
弟夫婦に
言葉に出せない感謝を感じました
母はいつも言っていました
お兄ちゃんはお兄ちゃんでいい
ほげとまちゃんはほげとまちゃんでいい
次男ちゃんは次男ちゃんでいい
死の寸前には
おとうちゃん(父の事)
お世話になりましたね
いつも★nice!やランキングに
ポチッと押してくださいまして
ありがとうございます
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。